認められない。こんなこと、絶対に認められませんわ。
携帯をギリギリと握り締めながら、唇を噛む。隣の席の少女の荷物が緩のつま先を踏む。だが相手は詫びもしない。そして緩も咎めない。
そんな事は些細な事でしかないと思えるほど、緩の怒りは激しい。そして凄まじい。
なぜ? どうして?
この数週間、寝ても覚めてもその事ばかり。写真を見るたびに怒りが湧き上がり、ならば消してしまえばよいものを、なぜだか消してしまう事ができない。
見たくない。あんな写真、目にしたくない。そう思うのに見てしまう。
嘘であって欲しいから。あんな写真は無かったのだと、携帯を開けばそんな写真はメモリのどこにも保存されていないのだという現実を迎えたいのだと、そんな淡い期待を抱いては携帯を開き、そうして再び怒りに身を滾らせる。
山脇先輩が、大迫美鶴と抱き合って、そしてキスだなんて。
どこの誰が撮ったのか。噂では廿楽華恩が首謀者ではないかとの事だが、真偽はわからない。
廿楽華恩。かつては、我が主と仰ぎ、唐渓高校での自分の強力な後ろ盾になるはずだと確信して従ってきた上級生。だが結果は、男子下級生にこっぴどくフられ、情けなくも自宅に引っ込んでしまった。
まさか、廿楽先輩があのようなヘタれだとは思わなかった。私の、人を見る目が無かったという事なのか?
校内での、緩への風当たりは徐々に強まりつつある。それまでの横暴な態度を考えれば自業自得だと、義兄の下卑た笑い声を想像し、唇を噛んだ。
負けませんわ。絶対に、誰にも、私を見下すような態度なんてさせません。必ずや再び周囲を見返してみせます。
その為には、新たな後ろ盾を見つけなければ。
できれば、今現在、唐渓高校で最も強力な影響力を持つ存在。
その脳裏に、深く円らな瞳が浮かぶ。
い、いいえ、それはダメです。
緩は頭を強く振る。斜め前の女性がチラリと視線は送るものの、大して気にも留めていない。
いいえ、山脇先輩をそのような存在として利用するなんて、それはダメです。絶対にいけません。
だって、だって、山脇先輩は私にとって、純粋で、高貴で、清らかで、本当に、本当の王子様なのですから。
途端、顔から火が噴出す。
だが、それも束の間。手にする携帯の存在に、怒りがふつふつと湧き上がる。
本当にこの写真は廿楽先輩が?
いいえ、誰が撮ったものかなんて、そんな事はどうでもいいのよ。問題はこの写真の信憑性よ。合成写真とか、もしくは精巧に作られたCG。そうよ、作り物よ。こんな写真が事実であるはずがない。
なのに、写真が合成だという噂もCGだという噂も流れてこない。
大迫美鶴、まさか、まさか山脇先輩に近づくなんて。信じられないわ。だって彼女は先輩にはまったく好意を示していなかったのですもの。
悔しいかな、想いを寄せているのは瑠駆真の方であって、緩が調べた限り、美鶴にはその気はないはずだ。華恩に指示されていた時、緩は何度もそう報告をした。
それが何? なんでこんな展開になるワケ?
きっとそのうち目が覚めるはずだ。大迫美鶴などという下賤な人間に想いを寄せるという事がどれほどに愚かな事か。先輩はきっと気づくはずだ。そうして、気づいた時に、今度は私の存在にも気づくはずだ。ひょっとしたら先輩は、胸の内にすでに私への想いも秘めているのかもしれない。ただ本人が気づいていないだけ。
そうよ、そうに違いないわ。だって、私に何の興味もないのに、二度も助けてくれたりなんてするはずないもの。
妄想は、疑われる事を知らずに真実へと昇格される。
いずれ気づいてくれるはず。
そう信じて疑わず、いずれは甘い言葉と物腰に包まれる日を夢見て今はただ偲び待つのみと、言い聞かせてきた。
それが何? 夜に大迫美鶴と抱き合って、キス?
あり得ないわっ!
思わず叫びそうになる。必死に抑える。まぁもっとも、このざわめきでは緩一人が適当に叫んだところで大した騒ぎにはなるまい。
舞台の緞帳は下がったまま。開演時間はすでに十五分も過ぎている。
あり得ない。きっと何かの間違いだわ。でなければ、きっと山脇先輩は何かの策略にでもハメられたのよ。
そうよ。
パチンと、頭の中で光が瞬く。
きっと山脇先輩はハメられたんだわ。大迫美鶴の小汚い罠にでも堕ちたのよ。
小汚い罠って? そんなの知らないわ。所詮、あんな貧乏で低俗な人間の考える事なんて理解できないもの。ただ判っているのは、犯人は大迫美鶴で、悪いのはあの女だって事。
そうよ、全部悪いのはあの女よ。あんな人間に山脇先輩を奪われてたまるものですかっ!
見てなさい。絶対に私が先輩を護ってみせるんだから。
ぐっと心に決意を込めるのと同時、ふっと会場の明かりが落ちる。同時に響き渡る快活な男性の声。
『やぁ みんな、こんな寒い日にボクたちのクリスマスパーティーに来てくれてありがとう』
一瞬の静寂の後、会場は歓声やら嬌声やら悲鳴やらに包まれる。
『ふふっ 今日はね、砂漠の国でもクリスマスなんだ。みんな、アラビアンナイトのクリスマスを、思う存分楽しんでね』
声が途絶えると、今度はゆっくりと緞帳があがっていく。ステージにはゲームの世界を再現したかのような演出と音楽。開演の遅れに不満顔だった女性たちの表情が、あっという間に蕩けてゆく。
携帯の写真に怒りを滾らせていた緩も、ステージの演出と甘い声音には逆らえず、結局は興奮の渦の中へと身を委ねていった。
「風邪ひくぞ」
声と共に毛布をバサリと頭から被せられ、里奈は背後を振り返る。小ザッパリとした短髪の下で、ツバサがニッコリと笑っていた。
「疲れた?」
「ううん、そんなんじゃないけど」
「賑やか過ぎたかな? まぁ、ケーキとオモチャが目の前にあって、興奮しない子供はいないけどね」
振り返る先の建物からは、奇声やら歓声やらが休み無く響き、賑やかなイベントである事を教えてくれる。
「別に煩いなんて思わないよ。ただちょっと暑くなっちゃって」
唐草ハウスが賑やかなだけに、庭は異常なほどに静けさを漂わせている。周囲は住宅街で明かりもそれほど眩しくはない。庭はほとんど漆黒の闇。
こんな閑静な場所でパーティーを開くのだから、事前に周囲へ配慮するのも大変だ。最近では近所の人たちの理解も得られるようになってきたが、昔は苦情もあったと聞く。
「でも、毎年楽しみにしてるし」
やんわりと笑う安積の顔を思い浮かべる。そういう彼女も楽しみにしているのだろう。この施設で生活する子供たちも楽しみにしているのだろうが、実はボランティアを行っている面々も、意外と楽しみにしているのだ。だからこそみんな、早々と計画に取り掛かる。
「美鶴、来なかったな」
庭を眺めながらポツリと呟いた里奈の声が、ツバサの胸に波を立てた。
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